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福岡高等裁判所那覇支部 昭和52年(う)74号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人国吉真康、同新垣勉共同作成名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検事大濱和男作成名義の答弁書(補充書)に、それぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれらを引用し、これに対して当裁判所は、次のとおり判断する。

控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反の主張)について

所論は、要するに、原判決は、原判示各事実を認定する証拠として、萩原繁の検察官に対する昭和五〇年八月二七日付(二通)、同年九月一一日付、同月一三日付、同月一五日付(二通)、同年一〇月一六日付各供述調書(合計七通)を挙示しているが、右萩原繁は本件各公訴事実において被告人と共犯とされている者であるところ、同人は本件と同一の公訴事実(ただし、右萩原の単独犯の訴因。)で昭和五〇年六月二七日起訴されており、同人の前記七通の各供述調書は、いずれも、右起訴後、しかもその第一回公判期日(同年七月二一日)後も継続して行なわれた捜査機関の取調べにもとずいて作成されたものである。しかして、右取調べは、すでに起訴されて被告人の地位にあった右萩原に対し、その起訴された事件につき、(第一回公判期日後も、)公判審理と併行して行なわれたものであって、当事者対等の原則を無視し、同人の防禦権を侵害したものであり、かつ、公判中心主義にも反する違法な取調べであり、従って、それにもとづいて作成された前記七通の各供述調書は違法な手続によって収集された証拠であるから証拠能力を有しないにもかかわらず、これらを有罪認定の重要な証拠として採証に供した原判決には、訴訟手続に法令の違反があり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない、というのである。

よって案ずるに、刑事訴訟法一九七条は、捜査については、その目的を達するため必要な取調べをすることができる旨規定し、捜査官の任意捜査について法文上とくに何らの制限を設けていないし、実際上も、公訴提起以後であっても、公訴維持を確実ならしめるため、補充捜査として、なお被告人を取調べる必要があり、かつ、それを相当とする場合もありうるから、同法一九八条の「被疑者」という文字にかかわりなく、起訴後においても、捜査官はその公訴を維持するために必要な取調べを行うことができると解することができる。このように捜査官が被告人となった者をなお取調べ得るということは、起訴された後でも被告人はなお一つの証拠方法であることを意味するものであるが、他面、被告人は、公訴提起に伴い、刑事訴訟における当事者たる地位を取得し、公訴官たる検察官に相対する形で防禦権を行使する主体としての地位に立つものであるから、捜査官による被告人取調べには、おのずから、一定の限界が存するものと解さざるを得ず、例えば、起訴後当該起訴事実につき被告人を被疑者のときと全く同様に無制限に取調べることは、到底許されないこと明らかなところというべきである。そこで、捜査官による被告人取調べの限界について検討する必要が生ずるが、この点については、現実に公判手続が開始される第一回公判期日以降とそれより前とでは、事情を異にする。第一回公判期日以降においては、被告人は防禦権の主体として公訴官たる検察官と相対する当事者としての活動を現実に開始することになるとともに、被告人質問等により当該公判手続を通じて被告人を一つの証拠方法として取扱うことができるのであるから、原則としてその方法によるべきであるといえるのに反し、第一回公判期日までの間においては、いまだ争訟状態は現実に開始されておらず、被告人の防禦権の主体としての地位も必ずしも顕在化していないとともに、公判手続を通じて被告人を一つの証拠方法として取扱う方途もないのであるから、検察官において、公訴維持を確実にする必要があり、かつ、第一回公判期日以降までまてば、何らかの障碍が生ずるおそれがあると思料することにつき相当な理由がある場合には、捜査官は被告人を当該起訴事実につき、任意捜査として取調べることが許されるものと解すべきであるが、その場合においても、被告人の当事者としての地位を実質的に害さない範囲および方法によることが要求されるのである。すなわち、第一回公判期日までの間に、捜査官が任意捜査として被告人を当該起訴事実に関し取調べ得るのは、検察官において、公訴維持を確実ならしめるための必要性と、第一回公判期日までまてば、公訴維持上何らかの障碍が生ずるおそれがあると思料することにつき相当な理由がある場合であって、しかも、被告人の当事者たる地位を実質的に害さない範囲であると解すべきである。例えば、起訴前に既に被告人が捜査官に対して供述している事項について、補充的に説明を求めたり、あるいは、起訴後発見収集された証拠物等の資料の同一性についての確認を求めたり、あるいは共犯者の面通し等による確認を求めたりする場合や、被告人に対し余罪を取調べ中にたまたま起訴事実にも密接に関連する事項に供述が及んだため、その点について、起訴事実に関しても取調べをする場合等が考えられよう。これに反し、第一回公判期日以後においては、被告人は防禦権の主体として、公訴官たる検察官に相対する、いわば争訟状態のもとでの完全な当事者となること等に鑑みると、被告人を証拠方法として取扱い得るのは、仮りに検察官において公訴維持を確実にする必要がある場合であっても、原則として、当該公判手続を通じてでなければならないと解すべきであり、公判手続を離れて、捜査官が当該起訴事実について被告人を取調べることは原則として許されないところである。ただ、第一回公判期日以後にあっても、例えば、被告人が公判廷では十分に述べ難い事情のある場合や、あるいは、被告人自身でその意を尽した上申書等の書面を作成することが困難な場合などもありうるから、そのような場合に、被告人自身が自らの防禦権を放棄して自発的に取調べを求めたときには、検察官がその取調べを行うことを認める必要性のあることも一概には否定し難いのであって、このような場合の取調べまですべて違法視することもないと考えられるが、その取調べが公判手続に及ぼす影響などについて適正な判断を行わしめるため、公判手続の主宰者である公判裁判所の事前了解を得させることが相当であると解される。以上述べたことは、被告人が勾留されていると否とにかかわらず当てはまることであるが、これに加えて、とくに勾留中に起訴された被告人に関しては、起訴後も勾留中の被告人の取調べを許すと、起訴前の被疑者の勾留に期間の制限をもうけた法の趣旨を損なうことにもなりかねないことに注意すべきである。すなわち、刑事訴訟法二〇八条によると、捜査段階における被疑者の勾留期間は最大限延長しても二〇日間(ただし、同法二〇八条の二に規定する事件については二五日間。)を超えることができず、検察官はその期間内に公訴を提起しないときは、直ちに被疑者を釈放しなければならないこととなっているから、検察官としては、もし捜査の中途で被疑者を釈放することを欲しないならば、必然的に、右の期間内に被疑者の取調べを含む証拠資料の獲得につとめ、捜査を遂げたうえ起訴不起訴を決することが要求されているわけである。しかるに、勾留中の被疑者を起訴した場合に、起訴後も引きつづき勾留されている当該被告人を、被疑者のときと同様に取調べうるとするならば、検察官は、前記の期間内に捜査を遂げ得なかったときにも、起訴後の取調べによってそれが補いうる見込みがあるとして、それに期待をかけて、一応不十分のままでも起訴をしたうえで、被告人の取調べを行うことも可能であるということになり、そして、その取調の結果如何により、場合によっては訴因変更等により公訴を維持すればよいということになってしまいかねない。しかしながら、このようなことは、起訴前の勾留期間を制限した法の趣旨にもとることが明らかであるとともに、勾留の性質が、公訴提起によって、捜査のための勾留から公判審理のためのそれへと変じていることをも無視することになるのであって、到底許容されないというべきである。従って、被告人が起訴前の勾留期間満了の日に勾留中のまま起訴された場合には、起訴後、その勾留による身柄拘束状態を利用した取調べ(すなわち、被告人が取調室への出頭を拒み得ず、また取調室からの退去が自由でない状態での取調べ。刑事訴訟法一九八条一項但書参照。)は許されないもの、言い換えるならば、逆に、被告人において取調室への出頭を拒み、または出頭後いつでも取調室から退去することができることが保障された状態で、かつ、被告人自身がそのことを十分了知したうえで、出頭し取調べに応じた場合にのみ、その取調べが許されるものと解するのが相当である。以上、捜査官による当該起訴事実に関する起訴後の取調べが、右に述べてきた限界を逸脱したものであれば、すべて違法な取調べとなり、その取調べの結果得られた被告人の供述調書は、少くとも当該被告人の関係では、証拠能力を欠くものと解すべきである。

ところで、被告人の公訴事実が共犯にかかるものである場合には、当該被告人も他の共犯者にとっては、刑事訴訟法二二三条にいう「被疑者以外の者」(参考人と略する。)に該ると解されるから、共犯事件における被告人の取調べは、当該被告人の関係では被告人としての取調べであるとともに、一方他の共犯者との関係では同条の参考人としての取調べの一面を有している。従って、被告人の取調べが上来述べてきたところに照らし違法とされ、その取調べの結果得られた被告人の供述調書が当該被告人の関係では証拠能力を欠くとされる場合でも、その一事をもって直ちに右被告人の供述調書を他の共犯者のためにも証拠として用い得ないものとは必ずしも即断できないところである。しかしながら、少くとも、起訴後行われた捜査官による起訴事実に関する当該被告人の取調べが被疑者当時のそれと何ら実質的に変らないものであり、かつ、それが被疑者当時から引続き勾留中の被告人について、その身柄拘束状態を利用してなされたものである場合には、単に当該被告人の当事者としての地位を害した違法な取調べであるというに止まらず、被疑者の勾留期間を限定した法の趣旨を潜脱した違法な取調べという二重の違法を犯すものであって、しかも、とくに後者の違法は、当該被告人に対する関係で違法といい得るのみならず、他の共犯者のための参考人としての取調べの面からとらえても、被告人勾留の制度を濫用していわば強制的に参考人を取調べたに等しい違法を犯したといい得るものであり、令状主義の精神に違背し、ひいては適正手続を定めた憲法三一条の趣旨に反する重大な違法性を帯びた取調べというべきであるから、その取調べにもとずいて作成された被告人の供述調書は、当該被告人のためのみならず、他の共犯者を含めたすべての者のためにも、一切証拠として許容されず、証拠能力を欠くものと断ぜざるを得ない。

そこで、これを本件についてみるに、原審記録および当審における事実取調べの結果によると、所論指摘のとおり、本件各公訴事実において被告人と共謀のうえ本件拳銃およびその実包を各所持していたとされている萩原繁は、右事実と同一の各公訴事実(ただし、右萩原が単独で本件拳銃およびその実包を各所持したとの訴因。)で昭和五〇年六月二七日起訴され、同年七月二一日にその第一回公判期日が開かれており、所論指摘の同人の検察官に対する各供述調書は、右起訴後しかもその第一回公判期日後の取調べにより作成されたものであることが明らかであるところ、捜査官の右萩原に対する取調状況を検討してみると、同人は同年六月六日に千葉市内で逮捕されて同日中に普天間警察署に引致され、その後同署に勾留されてのち、同月一四日に同署からコザ警察署に移監されたが、その後は起訴前はもちろん起訴後も引きつづきコザ署に勾留され、同年九月二五日に沖縄刑務所に、同年一〇月一三日に那覇警察署に、同月二五日に沖縄刑務所に、それぞれ順次移監されているところ、右萩原は、その間、起訴前はもちろん起訴後も引きつづき、同人に対する起訴事実である本件拳銃およびその実包の所持の事実に関して司法警察員および検察官の取調べを受け、その取調べは、最終的には、同人に対する被告事件の審理が一旦終結した第四回公判期日(同年一〇月二〇日)の後である同年一〇月二四日まで続けられ、実にその起訴後における取調期間は約四ヵ月間近くもの長期間に亘っているばかりか、その間も、右萩原の公判への出頭あるいは病気の治療等のなされた日(もっともその日にも取調べが行なわれた場合もある。)をのぞくと、取調べを行なわない日の方が稀であって、その取調実日数も約八〇日にも及んでおり、とくに起訴後同年八月上旬ころまでは一日も欠かさず連日取調べがなされ、しかも、その間の取調べは、朝早いときには午前八時すぎから、夜遅いときには午後一一時すぎまで行なわれ、一日の取調時間が一〇時間を超える日がその半数近くにも及び、中には、昼夕食時間を含めて約一五時間近くにもわたっているものもあり(同年七月二八日。)、その取調状況は、まさに、起訴前の勾留中の被疑者に対する糺問的取調べと全く異ならないもの(むしろ、その取調期間等に鑑みると、それ以上に厳しいもの。)であったことが認められるのであって、しかも、当然のことながら、そのような取調べは、被取調者である萩原の申し出によってなされたものでないことはもちろん、同人において取調室への出頭を拒み、あるいは出頭後取調室から自由に退去することができる状態ではなかったことが明らかである。このような右萩原に対する起訴後の取調べは、まさに、公訴提起により検察官に相対する当事者としての地位を取得した萩原に対し、同人の防禦権に対する配慮も全くなしに、同人が起訴前から引きつづき勾留されていることを利用して、起訴前と全く同様の糺問的な取調べを公判手続と併行して無制限に行なったものと評さざるを得ないのであって、現行刑事訴訟の当事者主義的訴訟構造に全く背馳し、被告人である萩原の当事者としての地位を著しく侵害するばかりでなく、起訴前の勾留期間に限定をもうけた法の趣旨を没却せしめること甚しいものであって、令状主義の精神に違背し、まさに、法の適正手続の保障を規定する憲法三一条に違反する重大な違法を犯したものというべきである。従って、このような取調状況下での取調べの結果作成されたと認められる萩原の前記各供述調書は、当の萩原に対する関係だけではなく、本件被告人の菊池を含むすべての関係で、一切証拠として用いることが許されないものといわなければならない。従って、右各供述調書は、本件においても証拠能力を欠くものとして、その証拠調請求を却下すべきである(因みに、萩原に対する関係でも、一旦終結した弁論が再開された後の第五回公判期日(同年一一月一七日)において、検察官は、萩原の単独犯の訴因を本件被告人である菊池との共謀による所持の訴因に変更したうえ、前記各供述調書のうち、同年八月二七日付供述調書二通を刑事訴訟法三二二条一項書面として取調請求したが、その請求は同公判期日において却下されている。)のに、これを証拠として採用し原判決に挙示した原審の訴訟手続には法令の違反があるというべきところ、原判決の挙示する各証拠のうち、右各供述調書を除外したその他の証拠によって、原判示各事実を認定しうるかどうかを検討するに、右各証拠中には、原判示各事実において被告人の共犯者とされている萩原繁が原判示第一、第二記載の各日時場所において、各記載の本件拳銃あるいはその実包を所持していたことを認めるに足る証拠は存在するものの、右萩原の右拳銃及びその実包の所持につき、被告人菊池が右萩原と共謀したとの事実を証明するに足りる証拠は見当らず、はたまた被告人菊池自身が右各日時場所において本件拳銃及びその実包を自ら単独で所持していたことを窺わせる証拠も全く存在しないから、結局、原審の右訴訟手続の法令違反は、判決に影響を及ぼすことが明らかであるといわなければならず、この点で原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よって、その他の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三七九条により、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書の規定に従い、さらに自ら判決する。

本件公訴事実は、

「 被告人は、萩原繁と共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、

第一  昭和四九年一〇月二四日午後五時ころ、千葉県千葉市道場南一丁目九番二八号付近路上において、拳銃四〇丁および同実包四〇〇発を所持し、

第二  昭和五〇年一月三〇日午後八時ころ、同市院内一丁目一八番一号春木屋マンションにおいて、拳銃用実包一、八〇〇発を所持し

たものである。」

というのであるが、本件において適法に取り調べられた全証拠を検討してみても、前記のとおり、右萩原が右日時場所において本件拳銃およびその実包を所持していたことは認められるものの、被告人が右萩原とその点につき共謀を遂げたとの事実あるいは被告人自身が右日時場所において自ら所持したとの事実については、これを認めるに足りる証拠は見い出し得ない。従って、本件公訴事実については結局犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条後段により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 門馬良夫 裁判官 山内啓邦 森本雄司)

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